HEROS

2018.2.12
no.11
鈴木 崇也
SUZUKI TAKAYA
石巻市内に飲食店4店舗、リラクゼーション店を一店舗展開。石巻に新しい風を吹かせている。

プロフィール


 

株式会社D.I.O 代表取締役
鈴木崇也

宮城県石巻市出身

20歳から東京に移り住み音楽業のかたわら飲食店に従事する。2014年に石巻に帰郷、翌年石巻バルDacchaをオープン、現在石巻市内に飲食店4店舗、リラクゼーション店を一店舗展開。石巻に新しい風を吹かせている。

 


ヒーローではなくヒール


 

なぜヒーローになられたのか、なぜこういうお店だったりとかを始めたのですか?

)ヒーローになってるつもりはないので、どっちといえばヒールだと思います。

東京に10年弱ぐらい20歳のときに住んでいたのですが、ミュージシャンをやっていて、音楽活動がうまくいかないくて収入にかなりこうアップダウンがあったたんですよ。年齢的にもうちょっとで30歳だなと思っていて、もう自分の能力はここまでかなと思ったところが音楽に関してありました。

じゃあ次のことをしないといけないなと、その時音楽だけでも食えない時期もあって、ずっと飲食店で働きながら活動をしていたので、料理は得意で、そのおかげでどこでもすぐに使ってもらったり、自給上げてもらっていました。思い返せば飲食でちゃんとご飯食べてたんだなっていうのが気づいたんですよ。それで飲食店をやろうと思いました。その時は東京で石巻酒場っていうのを出すか東京っぽいお店を石巻に出すかで悩んでいて、悩んだ結果石巻にもう長年帰って生活していなかったのと、震災後の石巻をよくしようとは別にしていませんでした。そんな人がそ震災でいい意味でも悪い意味でも知ってもらった石巻っていう地名を使って商売をするのはどうなのかなと思ったんですよ。

自分が、よく行ってた博多ラーメンのお店が東京の会社だったりとか、あんまりそういうの好きじゃなかったんですね。ちゃんと石巻の事知らないとダメなのかなと思ったんです。あと、資金的なところで、東京でお店を出すより石巻で出す方がリスクが少なかったんですね。なので、石巻でやろうと決めて2014年のちょうど10月ぐらいにこっち戻って物件探しをしたら、すぐ見つかったんですよ。1号店であるだっちゃの物件がたまたま雨漏りをしていて、これはタイミングがいいなって思って、みんなには反対されました。儲かるはずないって言われましたけど、自分が東京で最後に働いてたお店があるんです。そこのお店が、路地っぽいところでやってて、ちゃんと売り上げを上げてるようなモンスター店だったんですね。自分もそこにあやかってやれればいいなという感覚があって、あとは漠然となんか人が集まってくれるだろうと思っていました。料理に自信があったので、それでお店を決めました。

そこから、1号店は2か月3か月かけて、自分で改装を行い、2015年の320日に半分くらい手作りな感じでオープンしました。初めは苦しかったです。お客さんがほとんど入らない日もありましたし、従業員に給料を払えるかわかりませんでした。でも自分の給料がなくても、従業員に給料払えればとりあえずいいかという思いがあって、初めは大きな宣伝もしていませんでした。そしたらSNS等で拡散して、やっと少しずつお客さんが入るようになってきたんですよ。そのタイミングでまた新しく働きたいっていう人達もやってきて、人が増えたらお店って急に繁盛するなと思ったんです。それはやっぱり人、商売っていうのは人だと思います。例えば自分がどんだけ料理ができてもそれを食べるのは人だし、人によって好きな味も違う。そういった人の大事さっていうのが少しわかって、そこで自分が思ったのは、自分がここのお店に入って料理の味を守るんじゃなくて、今いる人たちの力をどれだけ広げられるかをやってみたいなって思ったんです。この人たちにお店を任せたときにどうなるのかを見てみたい。なので売り上げも上がってきて自分含めてあと3人に給料も払える売り上げになってきたんですが、1店舗しかないし、この子達応援するのも良いんだけど、2店舗目を始めようと思ったんです。

その時に、ちょうど今4号店のUnder Linerっていうバーガーショップになっているところが、もう空くっていう連絡が大家さんから来て、小さなお店なら1人でも出来るし、1号店みんなに任せて自分がこの2号店やろうかと思ったんです。なので1号店がオープンしてから半年で、11月に2号店をオープンしました。1号店はイタリアンなので、2号店は何ができるかなと考えた時に、そういえば石巻って練り物が有名なのに、おでん屋さん無いと思うことがあって、おでん屋さんと名乗る屋台もないし、おでん屋さんといえば、と言われたときに答えられる所がなかったんですよ。冬になり寒さが増してきた時期だったので、じゃあ自分達でおでん屋さんやろうと思って始めたんです。

こちらも初めはそんなに売り上げなかったんですけど、そこは今の2号店の菅原に任せたんです。そしたら彼女の人柄で、どんどんお客さんが入るようになってきて、あの売り場でいうと4坪ぐらいしかないんですけど、かなりの売り上げをあげるようになり、それも1人であげられるようになったので、その相乗効果で1号店の近くに店の売り上げも上がるようになったんです。

そしたら、またお話が合って、肉バルのある3号店。ここも前はスナックだったのですが、自分は来た時から場所はいいのに、何で誰も入んないのかと思ってたんです。たまたま酒屋さんに、あそこって何でずっと空いてるのかなって、何気なく聞いたら、その次の日、直ぐそこの大家さんから会いたいので時間くださいと連絡来て、すぐお話をしました。そこの大家さんとは、初めは借りる借りないの話をしていたのですが、そこからなぜ石巻に帰ってきたかの話をしていたら、自分を気に入ってくれたんです。初めは資金もあまりなかったので、迷っていたのですが、ちょうどいろいろとお金を工面することができたので、去年の4月に3号店をにオープンさせましたね。

その頃から石巻では、石巻バルの知名度が少しずつ上がってきたという実感はあるんですが、そんなヒーローだって言われても自分の中では全然足りてないと感じています

短いスパンでお店を出せた理由はなぜですか

)まずは、人に恵まれたっていう事があります。仕事を出来る人がほしい時にが入ってきてくれたり、自分が食べるだけだったら、1店舗を守っていた方が、リスクも少ないんです。ただ自分の場合は、見返りがそこも出なくてもいいと思っているんですよ。暮らす分にはお金が必要ですが、自分はどちらかというとお金よりも人からの信用を集めたくて、例えば、自分の飲食店が駄目になり、借金しか残っていなくて、お金全くありませんとなった時に、自分にご飯を食べさせてくれたり、自分にビールを1杯おごってくれたりしてくれる人が、何人いるかなというほうが自分には大切です。

やはり人が好きなので、店の中でも結構お客さんと話してるんですよ、くだらないや真面目なことも話しをして、そういう時間の方が大切なのかなと、結局人が好きなんでしょうね。一生懸命やってる人をやっぱり応援してあげたい、だからその分自分も一生懸命やんなきゃなってのもあります。信用を勝ち取れるのが一番大切ですね。そこに尽きると思います。

石巻でお店を出していく中で、石巻の魅力ってなんでしょうか。

)魅力はたくさんあります。自然が美しいこと、いい人が多いこと、後は食べ物がおいしいですね。。特には魚は扱わないのですが、魚、野菜、米っていうのはやっぱりいいものが入りやすいです。逆に言うと、料理人としての腕は試させられる所がありますね。元々おいしいものをマズくすることは出来ないので、かといっていいところを消すわけにはいきませんから。料理をする人にとっては大変かもしれませんね。

もし東京にお店を出されていたら成功しましたか?

)失敗はしなかったと思います。石巻にいる知り合いよりも東京にいる知り合いの方が人数は多いですし、沢山の人にお世話になってきました。失敗はしなかったとは思っています。ただ、石巻酒場っていうのお店をやろうと思っていたので、石巻酒場っていう名前をつけてやってたら、流行りもので終わってしまった可能性はあります。バルスタイルを東京から持ってきて石巻でやってきましたが長くは続くと思っていません。これも流行りなので、廃れば新しい業態やります。勿論飽きられないように頑張りますし、どこ行っても自分のスタイルは一緒なので、今と大きく変わるかと言ったら今と変わらないと思います。逆に、石巻の美味しいものを東京で数多くの人に食べてもらうことが出来ればそれはそれでありなのかなと思ってます。

今後も東京で石巻酒場でやるという夢はまだ諦めてないので、いい物件が出てくればいいと思っています。

その場所に対して何が出来るか、この場所で何が足りなかったり、どうなれば売れるかっていうのを解決する活動ですね。

)自分は創造性が他人より強いかもしれませんね。というより創造というか妄想ですね。新しい店舗やるときに、ここで何をやったら人がワイワイしてるかなっていうのを思いつくまでずっとそこで考えるんです。何回も見に行って、思いついたものを今までやってるんですよ。それが浮かぶまではやらないです。月に何件も仲介業者さん、不動産屋さん、大家さんからこういう店舗持ってて空いたんですが、という連絡が来るんですよ。一回見には行くのですが、でもそこでずっと考えても浮かんでこないんですよね。ここじゃ無理だなと、ただ、その人たちを助けてあげたいという気持ちもあるので、最近の条件は働く人を5人以上見つけてくれたら考えますということにしてます。働く人いれば成り立つので、最近はそういった形で対応してますね。

妄想はすぐ思いつきますか

)出るときは早いですね。1号店をやるときは凄く早かったです。一瞬で内装の雰囲気とかライトの感じ、出す料理、テーブルの配置まですぐ浮かびました。その時はこれはいけると、だから場所選んだんだと思います。ほんと全部出ましたね。それを全てノートにメモしました。これは音楽作ってた時と一緒の感じですね。ただ、1号店の場合はやっぱりすごいそれが浮かんだんで、結果今ご飯食べれるようになっているので、良かったんだろうなってそう思うことはありますね。

テーブルの配置まで出るんですね。

)そうですね、お客さんが満客になってワイワイなってるなっていうところまで浮かびました。その後なかなかそこまではいかないですけど、初めのイメージと出来た時の完成自分の中では近いです。

今年の1月に株式会社に法人成りしたんですが、社訓がDo it ourselfっていう言葉をほんとはDo it ourselvesなのですが、ourselfの方が覚えやすいなとなって、Do it ourself、私たちが創るって。

なので、1号店のときから自分で店も作ってるし、今4つ店舗ありますけど、社員達に対しても、自分が何かをするのは簡単、でもまずは自分たちで考えてそれを一回提案してみてくれということは常日頃から言っています。自分だけの会社ではなくて、みんなの会社だからみんなでなにかをしようということを一番に掲げている会社です。ただもっとやれればいいなと思っています。自分が全く店に携わらなくてもみんなが動くことがまだ完璧には出来ていないので、その先に持っていけるようにしたいですね。みんなに任せられるようにしたいなと思っています。

動きが早いですね

)早いです。なんかをしたいと思ってる時に動きが早い人の方が得だと思います。自分はやるかやらないかの決断が早かったり、迷いがないです。そういう人たちは、東京でもやっ見てきたし、そういう人たちほどイキイキしてました。そういう人達みたいになりたいなと思うので、やるかと思った時に自分で準備してることが多いです。

 


鈴木さんの必殺技


 

分かりづらい質問ですが、必殺技は何ですか

)おじさんに好かれることです。自分のことを好きなおじさんはいっぱい居ます。ほんとは女の子に好きになってほしいんですけど(笑)、おじさんたちに好かれますね。それはいい時と悪い時とありますが、基本的に何かプラスになるような方達が多いです。特に、誰とでも仲良くなれます。でもあんまり責任のない仕事をしてる人たちがあんまり好きじゃないのかもしれませんね。そういう人たちとは仲良くなれないですよね。ただ会ってみてすごい仲良くなる人もいますし、お店に通ってくれる人もいます。

特技としては人と仲良くできる、ただ好き嫌いが激しいですね。

 


自分を一言で例える


 

最後の質問なんですけど、自分を一言に例えると

)変な人です。

人と違う人でありたいのが昔から強くて、勉強、スポーツ、何やっても1人で出来たんです。でも、音楽をやって初めて出来ないことがあるって思った時に、それを諦めることにしたんです。なんでかというと才能ないことに気が付いたんです。でも、音楽は好きだから、未だにお店で語り引きイベントやったりしていて、自分も歌ったりするのですが。

違う世界にいるので、その中で負けたくないんですよね。なんかさらっとこなしたいです。何でもできる人とかいるじゃないですか。例えばレオナルドダヴィンチとかミケランジェロとかすごい万能を持ったなんでもできる人、ああいう人たちになりたいですね。でもあの人たち努力をそんなにほかの人に見せてないんですよね。それをさらっと出来たらかっこいいかなって思います。

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