HEROS

2017.12.11
no.06
高田 慎司
SHINJI TAKADA
株式会社ヤマナカ 代表
2008 年に株式会社ヤマナカを設立、石巻ならず様々な所に海産物を輸出している。

プロフィール


宮城県石巻市出身、2008 年8月に株式会社ヤマナカを設立 2011 年の東日本大震災で工場の大規模が半壊したが2ヶ月後には営業を再開させた。石巻のみならず日本国内外にも海産物を輸出している。

 


走り続けた7年間


 

なぜ今回ヒーローになろうと思ったんですか?

)ヒーローにはなりたくてなった訳ではなくて、 自分にとっては震災が一つの節目になっていて、まず創業して3年目で震災を経験し工場も大規模半壊、宮城県沿岸の養殖された海産物は全てダメになってしまったという中で売るものすらなくなってしまったと呆然とせざるを得ない状況で、従業員さんのことが心配で、仕事がなくなればお給料が払えない。

例えば、会社にストックしているお金があっても限界はあるし、電気が通ってないから銀行が機能してないから今月の給料をどう払ったらいいんだろうと、それで震災でみんなボロボロで、場合によってはあの時は飲み水や食い物も無かったんだけど、何かとインフラが整備されればお金が絶対に必要になるでしょ。だから四日目が五日目にハローワークに行った時に、会社の経営者クラスの人たちが同じことを考えてる人たちが集まっていたんですね。

その時に得た情報が、失業保険で一旦従業員さんを解雇という形を取れば、失業保険が翌日から支給されるという情報を得たので、それを従業員全員に周知して一旦解散しますと手続きをしたんですよ。それで一旦は切れてしまったんだけど、私の中では指をくわえて見てるだけでいいのか、という思いが出てきたので何人かの三年間頑張ってきてくれたメンバーに声をかけた。

そしたら、何かやりましょうという流れになって色々考えました。たどり着いてたのがこの辺の近海で養殖されたホタテであったり、牡蠣であったりホヤであったりを日本全国または海外に輸出させる仕事だったために冷凍を原料とした製品を作ったり、それを販売するやり方が分からなかったわけそれでどうしたかというと、たまたま震災から一ヶ月後くらいに始動している会社もあって、そこに縁があったので相談して見たらそこは冷凍の原料を使って例えば鯖のフィレを作ったり、しめ鯖を作ったりしている会社で、その会社も将来に関しての不安があったので従業員さんに関しては我々と同じように失業保険の手続きをしてとりあえず一旦切ったけど、原料はあるのでその仕事を一緒にやらないかと誘ってもらえたからラッキーだと思って。だけど、やり方がわからないから教えてくださいってお願いしてやり始めたのが2012年の4月にスタートを切った。

5人で、当時12名ほど居たんだけど自分を含めて5人が戻ってきてそこからです。工場とかも屋根は落ちてきている壁はボロボロの状態なのを自分たちで直そうって、言って材料買ってきて自分たちで応急処置をして再スタートを切ったところが始まりかな。それで、その仕事をさせてもらいながら別なことも考えないといけないねってことで、とにかく私はアイディアを考えてそれを現実のものにするのが仕事だと思っているので、私が考えたことはこの辺の人はホヤが大好きなのよ。絶対春から夏にかけてみんなが食べたがるわけ。でも、ホヤは壊滅してしまったから、それでホヤに関しては養殖すると3年かかるわけ。それで2011年が震災でしょ。だと2014年まで待たなきゃいけないだから、3年間みんなホヤを食べれない。

だって岩手、宮城っていうのがホヤの一大生産地担っているからそこが壊滅してたらホヤが食べれないでしょ、特に青森から東京の太平洋側の人たちっていうのは本当に消費量もの凄く高いので、それでふと思ったのが我々は震災前宮城県産のホヤを韓国に対して輸出するビジネスをやっていてそこで逆転のシステムで韓国にホヤがあることが分かって韓国サイドに連絡をしてみたら、仕入れた値段で輸入させてくれてそこで冷凍したホヤをパック詰めしたホヤをスーパーマーケットに対して供給が始まったわけ、それで皆さんは韓国産だけれどもホヤを食べることができたんですね。

翌年も韓国にお願いをしたら2倍くらいの値段をつけられてきてダメだってなったんだけど、北海道でもホヤを少量なんだけれども養殖しているという話を聞いたのでとりあえず北海道に行ってみようかと、当てもなかったんだけれども、それで行って養殖しているエリアに行ってアプローチをしたわけですよ。そしたら一部の漁業さんから協力したいという申し出があって、その時点で向こうの生産者が20名くらい協力をしてくれたんですね。それじゃスキームはどうしようかとなった時に、初めは水槽を積んだトラックで北海道までつけるので、それに積んでもらって石巻まで持ってきてここで加工しようかという流れだったんだけれども、一時的に盛り上がったとしても時間の経過と共に薄れて行って、一人抜け二人抜けってなったら大変だよって思ったから、その場で決断したのはここに工場を作りますと、ここで我々は根付くのでと、やっぱり信頼を買い得ないとダメだなと、特に漁師さんなんかはそうなんですよ。

なので信頼を勝ち得るためにそこに水揚げをさせてもらって加工して出荷という風にさせてもらったんですよ。それが大当たりで、今までは韓国の冷凍品でしょ、北海道も宮城と比べたら多少はサイズか小さいっていうのはあるんだけどでも全然殻から身を外せば大丈夫なんだよね。細かいこと言うと色がちょっとホヤって言ったら鮮やかなオレンジ色なんだけど、黄色がかっていてでも食べても全然問題ないのでそれに切り替えたわけですよ。

そっから大ブレイクであとはホタテが復活 したんですよ。ホタテの場合は1年で成長するので、それでホタテが乗っかってきてそれに牡蠣とか、その年で1000万くらい売り上げたのかな。次が2億くらい売り上げてその次が4億で8億、12億となって、それがヒーローなのかとかは無しに我々は動きが早かったから、私たちはとにかく水産業を復活させないといけないから仕入れて売るを繰り返してたらさっきのような数字が出来上がってた。

 

震災後の動きの速さがすごいですね。

高)今までのやり方を振り返って欲しいんだけど、思いついたことってすぐ行動しちゃうんだよね。それで失敗しちゃった事案も勿論あるんだけども、とにかくやってみるっていうのが自分の信念かな。やってみないと分かんないですね、机上の空論じゃないけど、アイディアとかさみんな考えてると思うけど、思ってるだけど終わってる人が大半でしょ、でも退路を絶ってやっていく姿勢っていうのがビジネスにおいても大切なことだと思うので、やるしかないぞととにかく行動あるのみというのが自分の原点のなのでそれが震災後たまたま功を奏したというか怒涛の7年間でしたよ。

後、自分も刺激を受けていたのはボランティアさんとか日本全国から来てくれた自衛隊の人たち自衛官の中には自分たちだって被災した人もいると思うんだよね。宮城県にも駐屯地があるから、その行動力を見ていると俺らも助けられる側だけではダメなんだっていうのを一週間後ぐらいにすぐ感じました。

 

石巻の魅力はなんでしょうか?

高)この町は面白くはないけど開拓、開発、ちょっとシフトを変えてあげるとかをすることは魅力かもね。マイナスのことが多いかもしれないけれども、それが故に可能性はあると思うんだよね。

 


高田さんの必殺技


 

必殺技はなんでしょうか?

高)基本的に超負けず嫌いだね。やられたらやり返すみたいな。そのためだったら今抱えている仕事も奪い取る、勝ち取る、それは常に持ってるかな。後は人脈フル活用かな、一人では出来ない仕事ってあるわけで自分が考えた計画とかで必要な人材が居たらすぐ巻き込んじゃう。

 


自分を一言で表す


 

自分を一言で例えるならどんな方ですか?

高)うちもベンチャーといえばベンチャーなのですが、今私って49歳なのね。そこからの見方だと自分の年とかだと、だんだん老後のこととかを考え始めたりしてるんだけど、自分は全然考えていなくて、なんならやってやろうってことしか考えてないのね。

その気持ちだけが今も尚あって、そうだな中年の星かな(笑)というか、そうなりたいかな。自分のFacebookがそうなんですよ。自分を見て負けてられないなとかを感じてもらいたくて。あとはリクルーティングを目的としているので、ここだと東京の求人雑誌からしかなかなかリクルート出来ないんだよね。

でも、そこから興味ある人は会社を調べるでしょ?そこからうちの会社のホームページを覗いてもらったりとか、自分のFacebookを見てもらってこういう動きをして、ここの経営者はこういう考えなのかというのがおそらく分かるので、それで来てくれる若手が結構いるんですよ。

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